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衝撃をさがす

 

 

3月4日土曜日 晴れ

夕方になったら、ずっと気になっていた場所へ行ってみようかなと思っている。

自宅から五分、高速道路とN川の近く。

以前から景色が気になっている場所がある。

 

交通量の多い所だから、車より原付のほうがいいだろう。少し動き回って川の土手の方まで行ってみようと思う。

 

ホントに行く? 景色を見るためだけに?

 

行ってみたい!

夕暮れの景色が見てみたい。

そうだな、時間的には、日が落ちるまでの30分ぐらいだろ。

帰ってきてから夕ご飯を作っても、旦那の帰りには余裕で間に合う。

次男には留守番をお願いすればいい。

よし、やっぱり行ってみよう。

できたら写真も撮りたい。

いい景色に出会えるだろうか。

 

 

※ ※ ※

 

 

先日、昨年末に見た映画「この世界の片隅に」の原作コミックを読み、様々な思いにとらわれた。

暮らしの愛しさ、戦争の愚かさについては、たくさん言いたいことがある。

しかし今日はこの素晴らしいお話の本題から逸れて、おそらく私が一生忘れないであろうシーンのことを。

 

それは主人公すずさんが、飛行機雲を見上げるシーン。

 

すずさんは雲を見上げて「あの雲は何だろう?」とつぶやく。すずさんには、その雲の正体が分からない。そう、生まれて初めて飛行機雲を目にしたのだ。

すずさんは家族の説明で飛行機雲の正体を知る。爆撃機の飛来がひっきりなしだったこの当時、市井の空にこの雲が見られるようになっていたのだった。

 

このシーンは映画にもあっただろうか。私はなかったように思うのだが、涙の処理に気を取られていたかもしれないので、自信がない。 

原作コミックではコマの外に注釈があり、「日本で初めて飛行機雲が確認されたのは◯◯年だという記録がある」のように説明があった。(この◯◯年が思い出せない。昭和一桁だったろうか。本はレンタルショップに返却してしまったので確認できず、情けない。 )

映画でも空と雲の描写があり、非常に美しく印象的だったため、原作本で出会った飛行機雲のイメージは、美しい映像とともに即座に脳裏に刻み込まれた。これまでどこにも存在しなかったものを目撃した瞬間、異形との邂逅、その感動、あるいは衝撃というタグ付きで。

 

 

本を読んでしばらくたったが、このシーンが思い出されて仕方がない。

そして私はもう一つ別の話を思い出した。あるいはこの話のイメージが強かったので、飛行機雲が気になったのかもしれない。

 

 

柳田国男遠野物語拾遺』より

二三六 

 昭和二年一月二十四日の朝九時頃には、この地方を始めて飛行機が飛んだ。飛行機は美しく晴れた空を六角牛山の方から現れて、土淵村の空を横切り、早池峰山の方角に去った。村人のうちには飛行機を見たことはもちろん、聞いたこともない者が多かったから、プロペラの音が空に響くのを聞いて動転した。佐々木くんかねて飛行機について見聞していたので、村の道を飛行機だ、飛行機だと叫んで走ると、家々から驚いた嫁娘らが大勢駆け出し、どこか、どこかとこれもあわてて走り歩いた。そのうちに飛行機は機体を陽に光らせて山蔭に隠れたまま見えなくなったが、爆音はなおしばらく聞え、人々は何か気の抜けたようになって、物を言うこともしなかった。また同じ年の八月五日にも、一台の飛行機が低く小烏瀬河に沿って飛び去った。その時は折柄の豪雨であったからたいていの人は見ずにしまったという。

 

 

この当時初めて飛行機を知ったり、初めて飛行機雲を見たりした時のような衝撃が、今後の私に訪れるかどうかはわからない。

けれど私は、ずいぶんとそれを欲しているのだ。

そしてそれが、日常に潜んでいることもあると知っている。

願わくば、そんな出会いがたくさんあるといいのだけれど。

 

アンテナを張って能動的に生きていたいものだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

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